本人

石膏デッサンとともに

18歳の頃の作品です。
岐阜聾学校・高等部を二年で中退し、しばらく家でぶらぶらしていた父。それを見かねた祖母と叔父が「絵の腕を生かす職業と学ぶ場所」を探してくれました。
それぞれに通い始めた頃です。
名古屋洋画研究所にて、デッサンの基礎を学び、職は映画の絵看板の仕事でした。


工事現場

工事現場

はじめてB全紙で描いた17歳頃の作品
当時は透明感のある水彩らしい作品を多く描いていた。
セメントをミキサーで混ぜる工事現場で、その複雑な柱や多角形な屋根などのバランス、構図に惹かれる。


映画看板

加納劇場

昭和35年頃の作品です
   
   

映画看板映画看板

昭和40年代の作品です
   
   

映画看板

丸越

昭和40年代
   
   

映画看板

豊富

昭和40年代
   
   

映画看板映画看板

大映

昭和40年代
   
   

タカハシ美工社

タカハシ美工社

映画看板の仕事は、笠松で2年、岐阜で10年勤めた。この仕事は、絵を描く仕事だが。美術とは全く異なる。
しかし、描くという点では、楽しいものがあった。
邦画、洋画の華々しいスターの顔を描き背景も入れ、タイトル、役者の名やキャッチフレーズなどを書き込むのである。
おかげで、私はこの時期に、多くのことを学び美術面とは違ったもう一つの技を身につけることができた。
早描きのコツ、色と文字、そこに出る空間、余白の使い方。人を鼓舞させるキャッチフレーズや、ひきつける文字のカタチと色、そして人物を含めた全体表現方法など、後のイラスト、レイアウト、レタリングなどの基礎となる。
   
   

映画看板

東宝 ペンキ

昭和41年~
   
   

映画看板映画看板

丸越劇場

昭和40年頃
   
   

映画看板映画看板

明日なき男

平成19年3月18,19日 岐阜市民会館にて
   
   

映画看板

薄れゆく記憶のなかで

平成20年2月29日,3月1日 岐阜市民会館にて
   
   

本人